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2020.07.18

[大阪] 大川に架かる浪華三大橋 「難波橋」「天神橋」「天満橋」

江戸の「八百八町」のように大阪も「八百八橋」といわれるほど橋が多いです。昔は運輸に川が使われてたので、もし川がなければ「天下の台所」と呼ばれることもなかったかもしれません。知らんけど。

その中でも難波三大橋と呼ばれる有名な橋が「難波橋」「天神橋」「天満橋」です。

阿吽のライオン像「難波橋」

北浜駅出口を出てすぐ、堺筋に架けられた橋です。南北の橋詰にはそれぞれに阿吽(あ・うん)の2体のライオンの石像があることから「ライオン橋」と呼ばれています。なぜライオンなのかというと、元の反橋だった難波橋からは16の橋が見えていたそうで、それにちなんで4x4=16、しし(じゅうろく)から・・・という話です。

元になった橋は704年ごろに行基によって架けられたと言われています。その後「天神橋」「天満橋」と同じく幕府が管理する公儀橋になりました。

もともとの難波橋は堺筋の1つ西側にありましたが、中之島の拡張時に撤去され、1912年に架けられた新しい橋が「難波橋」と呼ばれるようになりました。この橋はパリのセーヌ川に架かるヌフ橋とアレクサンドル3世橋を参考にしているそうです。

ライオン橋から東にバラ園(中之島公園)、西には大阪中央公会堂(中之島公会堂)があります。

日本三大祭の一つ天神祭の「天神橋」

天神祭で有名で三大橋の中で最も長い橋です。1594年に作られて当初は大阪天満宮(天神)の管理だったので、「天神橋」と呼ばれるようになりました。その後、大正時代に中之島が拡張されるまでは、陸地を跨いでなかったので、「天神橋長いなー落ちたら恐いなー」とわらべ歌にもなってたそうです。

明治までは木製でしたが、淀川の洪水で鋼製のトラス橋に架け替えられました。
現在の橋は1934年(昭和9年)に松屋町の拡張に合わせて架け替えられたもので、橋から北は天神橋筋、南は松屋町筋になります。

与力も渡ってた?「天満橋」

天神橋と同じく大阪天満宮の管理だったので、「天満橋」と名付けられました。
江戸時代、大川の北側は多くの与力が住むエリア(現在も与力町や同心町という地名が残ってます。)で、大阪城の周りにはお役所があったので役人たちが天満橋を渡って通勤していたんでしょう。

天神橋と同じく淀川の洪水で架け替えられ、1935年(昭和10年)に現在の橋に架け替えられました。かつては大阪市電(明治44年から昭和44年まで)が走っていたそうです。(知らんかった)昭和45年に渋滞緩和のため高架橋を建設し2階建ての橋になっています。

桜の季節になると大川沿いの毛馬桜之宮公園や造幣局の通り抜けに向かう人で賑わいます。

まとめ

現在の橋は架け替えられて違うものですが、当時の人たちが往来していた様子を想像するとなかなか歴史ロマンです。

全然関係ない話ですが、高い建物の中で、もし今タイムスリップしたとしたら、落ちてやばくない?せっかくタイムスリップできたのに!?空間は移動できないの?いやいや地球自体動いてるし・・・とかどんどん妄想が暴走してしまうことがありますが、天神橋の上で不意にタイムスリップしたら、やっぱり落ちて・・・。

・・・いや!なんの話やねん!

「天神橋長いな・・・落ちたら恐いな・・・」